日記

第141回定期演奏会に際してご寄稿をいただきました

音楽ライターの藤原聡様より、先日の第141回定期演奏会に際してのエッセーをご寄稿いただきました。下記にご紹介いたします。藤原様、ありがとうございました。

ヘンデルの『メサイア』、モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンの第9、マーラーの『復活』…。言うまでもなくいわゆる「クラシック音楽」においてはオーケストラと合唱で演奏される楽曲は数多い。恐らく、自身である程度本格的に歌唱を嗜む、さらには合唱団に所属している方「ではない」一般的なクラシック・ファンであれば、それらに合唱主体で、言い換えれば合唱を聴くことを主目的にして接する、というものではないように思える。聴く際の意識としては「ヘンデルを聴く」「ベートーヴェンを聴く」、あるいは「指揮者の解釈に注目する」などが多いのではなかろうか――という前置きを並べた筆者はその「一般的なクラシック・ファン」だと自覚しており、今まで「合唱団しか登場しないコンサート」には足を運んだことがない。そしてこの度、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団メンバーの知人(本稿執筆はその方からの依頼です)よりお誘いを頂き、「合唱のコンサート」を初めて体験したのだ。第141回定期演奏会(2016年12月18日、東京芸術劇場)である。

そしてこれが圧倒的な体験だった。高田三郎の『水のいのち』や佐藤眞の『土の歌』などの現代合唱曲の定番をある程度は録音で聴いたことはあるもののそこから合唱曲を掘って自分の内に深化させる訳でもなく(それらは傑作なのだろう、しかし実演ではなかったためか当方の未熟さゆえか、大きな印象を与えられるには至らず)、もっと言ってしまえば合唱曲に対しては学校やNHKのコンクールで歌われる『翼をください』や『あの素晴らしい愛をもう一度』辺りのイメージに多少は毛が生えた程度の認識しかなかった筆者が――それらが良い曲であることは言うまでもないが――当夜の『二つの祈りの音楽』を聴いた時、合唱音楽にこれほどの深い世界と迫真性を伴った表現が存在している事実に今さらながら(?)感じ入ったのだ。休憩を含んで3時間弱のコンサートにおいて、筆者が特に感銘を受けたのが松本望さんが作曲したこの曲だった。汎神論的な神、超越者への懐疑と合一への切望。ある意味で非常にメタフィジカルかつ重厚な内容を扱っている宗左近の詩句に全く負けていないこの音楽を聴いて、最大公約数的なイメージとしての「合唱音楽」に対する思い込みはあっという間に粉砕された。聴くものの魂に直接働きかける「ちから」が漲っていると思う。

むろん、そう思わせてくれたのはワグネル・ソサィエティーの皆さんの見事な歌の力あってこそに違いない。これも正直に記せば、ワグネルの合唱は今まで全く聴いたことがなかった。すれっからしのクラシック・ファンであり、実演・録音含めてクラシック楽曲における合唱はそれなりに聴いていると自負する拙文の書き手は、「名門ワグネル・ソサィエティーだからそれは相当に上手いだろうね」ほどの気持ちで東京芸術劇場に足を運んだことを告白しておく。そして、その漠然とした思い込みは1曲目の『慶應義塾塾歌』が始まって瞬時に覆される。「己の不明を恥じる」という奴である。明晰な発声。徹底的に訓練されてムラがなく柔らかいビロードの如き響きの統一、それでいてフォルテでの射すような力感。清澄なテノールと豊かなバスの響き。これがいち大学のアマチュア合唱団のレヴェルなのか。敢えて言うのであれば、しかしそれらはある一定の「枠」の中での上手さとも聴こえ、統一の他に「破調の美」とでも言うべき表現としての荒さ、そして音色の深さ、があれば尚素晴らしいと思った(それは日本の少年少女合唱団が技術的には非常に上手くてまとまっているにも関わらず、例えば海外の団体に比して表面の「美しさ」に留まっていることがしばしば感じられることと共通しているかも知れない)。しかしそれは些細なことだし、さらにこれより進化していくであろう、と確信できる点でもある。これだけの歌を聴かせてくれる方々がこれより先に進めない訳がない。

また演奏とは直接関係はないが、第4ステージまで分かれていたり、休憩を間に挟まないステージの移行でメンバーの皆さんがその都度退場~入場を行なったり、あるいはアンコールの際にクラシックのコンサートではまず起こらない「合わせた拍手」が発生したり(1700人弱の聴衆が行なうのだからこれはけだし聴き物[?]であった)、全てが新鮮に感じられた次第だ。

以上、ワグネルの皆さんをたったの1度だけしか聴いていないのに勝手なことを書かせて頂き恐縮ではありますが(それは違うのでは?とのご意見は甘受致します)、はっきりと言えることは大いに感銘を受けた筆者がおり、そして第142回定期演奏会にもぜひ足を運ぼうと思う、ということ。本稿を読まれるのは既にしてワグネルのファンであったり、もしく合唱音楽のファンだったりする方々だと思うのですが、必ずしもそうではない方がおられたらぜひ聴いてみて下さい。わたしのように思えるはずです。

文:藤原聡
【プロフィール】
タワーレコードクラシック担当バイヤーを経て、現在代官山 蔦屋書店にてクラシック担当。クラシック音楽情報誌『ぶらあぼ』にてディスク評を、音楽批評・評論のウェブ・マガジン『Mercure des Arts(メルキュール・デザール)』にてコンサート評、ディスク評などを定期的に執筆。