先生方紹介

音楽監督 佐藤正浩

 東京藝術大学声楽科を卒業後、ジュリアード音楽院ピアノ伴奏科に学び修士号(MM)を取得。1992年、サンフランシスコ歌劇場のオーディションに合格、専属オペラコーチとして研鑽を積む。 1995年、指揮者ケント・ナガノの招きでリヨン国立歌劇場の首席コレペティトールに就任し、世界初演やCD録音を含め数々の作品に参加する。

 1999年、英国ダーティントン音楽祭で『イドメネオ』を指揮しデビュー。翌 2000年には再び同音楽祭に招かれ『ナクソス島のアリアドネ』を指揮したほか、新国立劇場主催の小劇場シリーズで『オルフェオとエウリディーチェ』 を指揮し日本デビューを果たし一躍脚光を浴びる。その後も日生劇場『カルメン』、新国立劇場『トスカ』、藤原歌劇団『仮面舞踏会』等を指揮し注目を集める。2007年、和光市のオペラ彩公演『ナブッコ』で三菱UFJ信託音楽賞奨励賞を、2012年、会津若松にて初演されたオペラ『白虎』で佐川吉男音楽賞を受賞する。2014年からは東京芸術劇場で演奏会形式によるオペラ公演を手兵ザ・オペラ・バンドと共に開催、上演機会の少ないフランスオペラに焦点を当て、『ドン・カルロス』( 仏語オリジナル5幕版日本初演 )、『サムソンとデリラ』、『真珠とり』、『放蕩息子』(ドビュッシー)、『ジャミレ』(日本初演)、『人間の声』、『アルルの女』(劇音楽全曲版日本初演)などを上演し注目を集める。2020年、グランドオペラ共同制作『トゥーランドット』ではコロナ禍で来日不能になったイタリア人指揮者の代役として登場、大成功を収めた。

 武蔵野音楽大学特任准教授、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団、ザ・オペラ・バンド音楽監督、神戸市混声合唱団音楽監督、新国立劇場オペラ研修所長。

常任指揮者 福永一博

 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、同大学大学院音楽研究科声楽専攻修士課程修了。声楽を永井和子氏、指揮法を高階正光氏に師事。

 芸大在学中の2009年にharmonia ensembleを立ち上げ、同団を率いて2010年第63回、2011年第64回全日本合唱コンクール全国大会一般部門金賞に導く。また、2011年にはフランスで開催された第40回フロリレージュ国際合唱コンクールにおいてグランプリ(総合一位)・聴衆賞を受賞、翌2012年にスロヴェニアで開催されたヨーロッパ・グランプリへの招待出演を果たす。2013年には南フランス国際合唱フェスティバルへの招待出演、2014年には韓国で開催された第10回世界合唱シンポジウムへ日本を代表して招聘された。2015年より一般社団法人化し、音楽監督として合唱文化の普及と発展につとめている。

 2011年の東日本大震災後に、合唱を通じた復興支援を目指し「心に花を咲かせよう」プロジェクトを立ち上げ、同合唱団指揮者として、毎年東北を訪れ、復興コンサートや学校での100回を超えるワークショップを行なっている。また、2015年度TBS金曜ドラマ「表参道高校合唱部!」、2024年度テレビ東京開局60年特別企画ドラマスペシャル「晴れたらいいね!」ではキャストの合唱指導、ドラマの合唱監修を務めるなど、多岐に亘り活動している。 

 現在、harmonia ensemble、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団をはじめとする複数の合唱団で常任指揮者をつとめるほか、全国各地で各種講習会・合唱祭の講師、NHK全国学校音楽コンクールや全日本合唱コンクール、声楽アンサンブルコンテスト全国大会、宝塚国際室内合唱コンクールの審査員を務める。

(一社)日本合唱指揮者協会理事。(一社)ハルモニア・アンサンブル代表理事。全日本合唱連盟合唱名曲シリーズ(全日本合唱コンクール課題曲集)編纂委員。桐朋学園大学・エリザベト音楽大学・桐朋学園芸術短期大学非常勤講師(合唱・指揮法)。




ヴォイストレーナー 小貫岩夫

同志社大学神学部卒業後、大阪音楽大学卒業。同志社時代は同志社グリークラブに所属しソリストとして一時代を築いた。

 音大在学中の95年「魔笛」タミーノ役に抜擢され、テオ・アダムと共演しデビュー。この成功により翌年、ケムニッツ市立歌劇場(ドイツ)に招聘出演し地元紙より好評を得る。

 文化庁オペラ研修所第11期修了。98年度文化庁派遣でミラノへ留学。

帰国後数々のコンクールで優勝・入選し、二期会、新国立劇場を中心に活躍。『鳴神』(市川團十郎演出)、『コジ・ファン・トゥッテ』(宮本亜門演出、文化庁芸術祭大賞受賞)、07/10年二期会「魔笛」タミーノ役(実相寺昭雄演出)、11年佐渡裕プロデュース「こうもり」アルフレード役などで喝采を浴びた。近年は13年から3年連続で二期会のオペレッタの主役や、18年には東京二期会公演「魔弾の射手」(ペーター・コンヴィチュニー演出)の主役マックスを務めるなど、新たな境地の開拓に挑戦し続けている。

 コンサートでも、主要オケとの共演で高い評価を得ている他、テレビ・ラジオにも度々出演。2011/13/15年にウィーンオペラ舞踏会管弦楽団のニューイヤーコンサートのソリストとして舞台を飾った。2010年からは毎年、東京と大阪でリサイタルを開催し好評を得ている。

 2013年平成天皇皇后両陛下御親覧のチャリティー・ボールで演奏しお言葉を賜る他、フィレンツェではイタリア元首相夫妻主催のコンサートに招かれた。

合唱団の指導者としては関西学院グリークラブ、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団、立教大学グリークラブ男声、同志社グリークラブ、法政大学アカデミー合唱団、東京アカデミー合唱団、しなの合唱団などのヴォイストレーナー、また大阪外国語大学グリークラブOB(東京)の指揮者として活躍している。

 二期会会員。東京藝術大学オペラ専攻非常勤講師。二期会オペラ研修所講師。

 

【歴代のワグネルの先生方】

桂冠指揮者 畑中良輔 (故)

 東京音楽学校卒業。宮廷歌手ヘルマン・ヴーパーヘニヒ博士に師事。リリックな声を持ち、その音楽的解釈力の深さと卓越した演技力は、デビュー当時より高い評価を受けてきた。特にオペラではモーツァルト歌手として第一線に立ち、「魔笛」のパパゲーノ、「フィガロの結婚」のフィガロをはじめ、モーツァルトのオペラの本邦初演の主役のすべてをつとめた。イタリア、フランス・オペラでは、世界の名歌手、タリアヴィーニと「ボエーム」「ウェルテル」、ゲルハルト・ヒュッシュと「ドン・ジョヴァンニ」などを共演し、オペラ上演史に輝かしい記録を残した。歌曲ではドイツ歌曲・日本歌曲に造詣深く、特に日本歌曲のプログラムで全国縦断連続リサイタルを行い、啓蒙の役割を果たしたことは特筆に価する。又作曲の面では抒情的な歌曲作品が多く、「畑中良輔歌曲集」が全音楽譜より出版されている。評論の面では45年にわたり朝日新聞の音楽評を書き続け、「演奏家的演奏論」「演奏の風景」「音楽少年誕生物語」「音楽青年誕生物語」などの著書がある。演奏家としては最近これまでの録音を集大成した「歌の翼に・畑中良輔」のCDが日本ビクターから発売された。また、教育者としては弟子の多くのすぐれた声楽家が、日本はもとよりヨーロッパでも第一線の歌手として活躍している。全日本合唱教育研究会会長、日本音楽コンクール運営委員をはじめ、多くの役職をつとめ、旧文部省の教育課程審議会の重責をも担ってきた。

 東京藝術大学名誉教授、慶應義塾大学特選塾員、初代新国立劇場芸術監督、藤沢市民会館文化担当参与、水戸芸術館音楽部門芸術総監督、昭和60年紫綬褒章受章、平成2年毎日芸術特別賞受賞、平成6年勲三等旭日中綬章受章、平成9年モービル音楽賞受賞、平成11年神奈川文化賞受章、平成12年文化功労者顕彰、平成18年日本芸術院賞、恩賜賞受賞。近著「オペラ歌手誕生物語」は「日本エッセイストクラブ賞」を受賞した。

 2012年5月24日逝去。

元顧問指揮者 木下保(故)

 1903年(明治36年)10月14日、兵庫県豊岡に生まれる。1926年(大正15年)東京音楽学校を卒業、1928年(昭和3年)同校研究科を修了される。在学中はネトケ=レーヴェ氏に師事された。1933年(昭和8年)から1935年(昭和10年)までドイツ、イタリアに留学され、ドイツではヘルマン・ヴァイセンボルン氏に師事された。帰国後は母校の教授として教鞭を執るかたわら、リート歌手として活躍された。辞任後はオペラにも進出され、「タンホイザー」、「ローエングリン」等数多くのオペラの日本初演をてがけられた。また、「夕鶴」等に代表される日本の歌曲に対しての卓越した解釈は、他の追随を許さない。東唱、日本女子大学、聖心女子大学など、プロ、アマの数々の著名な合唱団の指揮者として、活動された。ワグネルは、先生が音楽学校に在学されている時からずっとご指導いただき、50余年にわたる先生のご尽力に対して、1969年(昭和44年)慶應義塾の名誉塾員の称号が贈られた。また1971年(昭和46年)秋に紫綬褒章を、1977年(昭和52年)春には勲三等瑞宝章を受章された。

 1982年11月11日 逝去。

元指揮者 梅原文雄 (故)

 1912年(明治45年)6月6日神奈川県に生まれる。1935年(昭和10年)慶應義塾大学経済学部を卒業される。在学時は慶應義塾ワグネル・ソサィエティーに所属し、バリトンソリスト及び学生指揮者として活躍し、声楽を木下保氏に師事された。1939年(昭和14年)から1953年(昭和28年)まで、勤務の傍ら男声合唱団の指揮者を務め、土日は自宅でワグネリアンの個人レッスンを行うなど、戦中戦後の苦難期に合唱部門の育成に努力され、男声合唱団の基礎を作られた。その後は、OB活動の組織化に専念し、1953年(昭和28年)発足の慶應義塾ワグネル・ソサィエティーOB合唱団発起人総代として尽力され、1962年(昭和37年)発足の慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団三田会初代会長に就任、以降、亡くなる直前迄会長を務められた。また、1978年開催のOLD BOYS WAGNER’78を契機にOB合唱団に団員として復帰され、歌い続けておられた。一貫した、謙虚で無私な姿勢でのワグネルへのご貢献は、多くのワグネリアンに多大な感化を与えた。

 1986年11月14日 逝去